屋久島だより vol.6 屋久島が教えてくれる「多面的なモノの見方」
竹本大輔
モノの見方は一つではないということを、屋久島はときとして教えてくれます。
例えば植物と人間の関係について。屋久島の小学校の校庭のほとんどにセンダン(栴檀)の木が植えられています。今の屋久島の人たちは「樹形がきれいだしそれで植えたのかもね」と言います。しかしながらそうではありません。昔は葉は虫除け、樹皮は虫下し、果実はしもやけに、どの部位も薬用に重宝された木なのです。ハゼノキ(櫨の木)もそうです。江戸時代には和ろうそくの原料として重宝されました。天皇陛下の即位の礼で着る「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」は、文字通りハゼノキで黄色く染めたもの。樹木はまさに人と自然との関係を教えてくれる事例が多いのですが、こういった話も今となっては昔。センダンは「なんかそこらへんにたくさんある木」と、ハゼノキに至っては「カブれる木」と忌み嫌われています。
屋久島には、古くから「岳参り」という風習があります。ほとんどの集落で5月と10月の年2回、各集落の祠を祀っている奥岳もしくは前岳に参ります。5月には里の塩を、10月には里の塩を持って登り、5月にはシャクナゲを、10月には榊やシキミといった神前に供える木を山から里へ持ち帰ります。この自然と人との共生を指し示す素晴らしい行事ですが、実は隣の種子島家が屋久島を支配するための宗教的行事だったということも判明しています。もともと屋久島は律宗(修験道)の島でした。そこに屋久島の木材を獲得したいという種子島家の思惑から、法華宗への改宗をよりスムーズに行うため、より効果的に自然への祈りとその効果を示した行事が岳参りだった、というのです。1480年代に種子島家が法華宗を持ち込み、1680年代に屋久聖人とも呼ばれ、法華宗の総本山である本能寺から派遣された泊如竹(とまりじょちく)が「岳参り」の風習と屋久杉を切り出すための儀式を定着させ、完成をみます。岳参りを「屋久島の素晴らしい古来からの風習」と見るか「その地域を治めるための200年かけた宗教的制圧作戦」と見るか。モノの見方は一つではありません。

人と自然の関係についても、人の歴史についても、モノの見方は一つではないということ、多面的なモノの見方が必要であることを、屋久島は教えてくれています。身近な自然や人の営みにこそ気づきがあり、学びがある。学びを深めるにはちょうどよいお手本がある、そういう場所でもあります。
「気づき」「こだわり」「五感」。まさにここ屋久島だからこその、多面的なモノの見方、気づき、こだわり、五感なのだと思います。