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屋久島だより vol.5 屋久島が教える、日本人の忘れられた強みと森との共生

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竹本大輔

 

同年代でも本土や逆に奄美群島以南の島に住む人びとと話すと「木の種類についてあまり知らない人が多いな」と感じることが多々あります。

 

ただ、ここ屋久島に住み始めたときはこの真逆のことに驚いたものです。「屋久島の人たちは木々の種類に本当に詳しい。しかもただ詳しいだけでなくその使い道をよく知っている!」ということに、です。本土ではある一定の年齢以上の方のみが詳しいようなことに、屋久島の人々は他の地域の人々よりも圧倒的に木々について詳しく、そしてその使い道など、いうなれば「木々への造詣が深い」のです。

 

屋久島町高平集落の畜産家の和田さんは言います。「おい(私)が子どものころ、県道が砂利道やったころは、とにかく道路にも木々が覆いかぶさって、夜歩くのにも難儀した。県道でたまに空と星が見えて、それはきれいやった」。これは屋久島全体が森に囲まれていたころの話。人は森をかろうじて切り開きその森の端っこで生活をしていたのです。この圧倒的な森の中での生活環境があったからこそ、屋久島の人々を「木々への造詣の深さ」へ導いたと言えます。逆に奄美群島の加計呂麻島の人々は言います。「子どものころはハブが危なくて『森へは絶対に入るな。遊ぶなら海で遊べ』と言われて育った」と。

 

慣れ親しんだものの強さ、それとも環境が人を育てるということなのか。
いま屋久島には外国人が多く入ってきています。彼らは「屋久島の木々や森」をただ見て回ることもですが、屋久島の人々の木々の使い方、人間と森のちょうど良い関係性を知る、といったことにこそ興味がある、と感じます。私たち日本人は、戦後の急成長の中で木々への造詣を忘れ去ってきたのでしょうか?この「木々への造詣の深さ」「人と森との良い関係性」は実は日本人の強みではないでしょうか?

 

そしてこのような日本人としての強みは実はもっと他にもあるのではないか、とも思うのです。ここ屋久島では、時代とともに忘れてきた「日本の強み」というものを、知らず知らずのうちに守っている、とも言えます。これらわたしたちの強みはなんなのか、時代とともに忘れてきたものはなんなのか、こういったものを追求しつつ、屋久島を拠点に次の世代に伝えていけたらなぁと思います。